「……っはぁ、はぁ」
ローザの呼吸が乱れる。
目は大きく見開かれ、ひざまずきながら体を震わせている。
得物を持って迫るゴロツキたちも、急変したローザを遠巻きに見つめている。
「何だァ……!?」
「ヒョ、ォオ?」
「…ゴヒィー……?」
体の震えが止まった少女は、うわごとのように言葉を発している。
「ッ……、テ、ヤル……」
ゆらりと立ち上がる少女の瞳からは光が失せていた。代わりにあったのは、底知れない闇。
「みんなみんな…、消してやるッ!!!! うあああああッッ!!!」
「ローザ……ッ!」
痛みに喘ぐシィク、霞んだ視界にとらえたのは、一人でゴロツキたちに特攻するローザの姿。
リヴァルも危険だと思ったのか、痛みに抗おうとしている。
詳しく観察することが出来ないが、今のローザは姿こそ変わっていないものの、雰囲気はまるで別人だ。
いつもの優しげな空気ではなく、荒々しく尖ったものになっている。
ゴロツキたちは得物を構え直したが、その表情には困惑が張り付いている。
「ゴ、ヒィィ!」
得物を振るうゴロツキ、ローザはその一撃を回避すると懐に潜り込む。ベルトに仕込まれたラピスが赤く輝く。扇が炎をまとい、体を捻りながら振り上げた。
「ふッ! 烙爆襲舞ッ!」
「ゴッ!? ゴヒャァァッ!?」
発生した炎はゴロツキを飲み込み、巻きあがる。受け身も取れずに落下し意識を手放した。
そこへ、リーダー格のゴロツキが、歪んだ表情で武器を振り上げ背後からローザに迫る!
「この小娘ェッ! 調子に乗ってんじゃ……!」
「疾空脚ッ!」
薙ぎ払われる得物を身を屈めて回避。下段蹴りを見舞い、上体を起こすのと同時、回し蹴りを放つ。
吹き飛びこそしなかったものの、体勢が崩れる。すかさず結晶術の陣を展開するローザ。
詠唱そのものを破棄したような速度で、弾けた陣から緋色の閃光を走らせる。炎の槍に身を貫かれたゴロツキは苦悶の表情で絶叫した。
「何ィッ!?」
「消えろお! 紅扇舞ッ!」
その場で回転し、炎の旋風を巻き起こすローザ。リーダー格は炎に包まれ、野太い悲鳴をあげる。しかし、ローザの追撃はまだ終わらない。
「くだばれぇぇッ! だああッ!」
怒り狂うゴロツキたちを相手に孤軍奮闘するローザだが、実力差は歴然。
情けも容赦もない残酷なまでの力を見せつけるローザの勝ちだ。ゴロツキたちは瞬く間に倒れ伏す。
その間に、立ち上がれる程度に回復したシィクはリヴァルの応急処置をしていた。「これで終わった」と思い、安堵のため息を吐く。
――しかし、その期待は脆くも儚く崩れ去る。
「……? ロー……ザ?」
彼女の周囲に赤い光が舞い、足元には同色の陣が描かれていた。
それは炎属性の結晶術のもの。抵抗できないゴロツキに術を放つ気かと、シィクは我が目を疑った。
「導け、断罪の業火。其は灼熱の牢獄。罪に汚れし魂よ、永久(とこしえ)に苦しめ」
先程の荒々しさは身を隠し、冷静な声音で詠唱するローザ。しかしそれは、シィクが使える「ライトニング」程度の簡単なものではない。もっと高度な――強力な結晶術を発動させるつもりだ。
危険をいち早く察知したリヴァルは、ひやりと汗を流した。
「なっ……この術はッ! ヤベェ、シィク! 伏せろ!!」
「えっ!? う、うん!」
陣が弾け飛び、ローザは高らかに叫んだ。
「レイジングプリズン!!」
鋭く輝く光の柱、それは刹那で地中に突き刺さり、火炎の鎖で結ばれる。ローザの眼前に真紅の牢が形成され、熱風を伴って爆発した。
「あっははははははは!!」
周囲から異様な体臭と死臭、そして何かが腐ったような匂いが漂ってくる。
おそらく、ゴロツキたちのもの。
気にも留めていないのか、ローザは一人狂ったように笑い続ける。
シィクもリヴァルも、この状況を理解できずにいた。
「おい、冗談……だろ?」
「ロー……ザ? え……?」
呆然とする二人。ローザの瞳が彼らを捉えた。
「……せる。」
「私が全部…」
「全部終わらせてやるッ!」
それは何かを決意したような、強い意志のこもった言葉であった。
続いて、炎属性の陣が描かれる。
「瞬刻の焔、我が前に立ちはだかるものを灰燼と為せ」
二人は驚愕の表情を浮かべ、自身の危機を悟った。あの術は、自らに向けて放たれるのだと。
凶暴に牙を剥くローザ。四散する陣、結晶術の発動だ。
「ブレイジングハーツ!!」
「マジかよッ!? 避けろシィクッ!」
咄嗟にリヴァルが叫び、回避を試みるシィク。しかし一歩遅かった。弧を描いて迫る二つの爆炎はシィクとリヴァルを巻き込み、燃え上がる。
間髪入れず接近し、武器を振るうローザ。その瞳は、やはり鋭い光を灯していた。力を振り絞って立ち上がったリヴァルは、ハルバードでローザの攻撃を防ぐ。
「クソッ、仕方ねえな! おいシィク、協力しろッ! ローザを止めっぞ! 殺さねえ程度に戦えッ!」
「で、でもっ、相手はローザだ! 僕はローザを傷つけることなんて……ッ」
その間にも、ローザはリヴァルを攻め立てる。防戦一方のリヴァルだが、このまま防ぐだけでは事態は好転しない。ハルバードを突き出し、力任せに薙ぎ払う。
「クッ! っりゃあッ! 裂牙槍ッ!」
「ローザ! リヴァル!!」
駆け寄ろうとするが、激しい攻防にシィクが入り込む隙などない。リヴァルがハルバードを突き出す。
それはローザを貫くものではなく、槍の部分に服を引っかけるためのものだ。捉えたことを確認したリヴァルは、力一杯振り上げる。
「放墜鐘ッ!」
空高く舞い上がるローザ。大きく距離を取った彼は、シィクのそばへと飛び退る。
「甘ぇこと言ってんじゃねぇぞシィク。今のローザは、いつものローザじゃねえ」
それくらいわかってる。そう言いかけたシィクの言葉を「けどよ」とリヴァルがさえぎった。
「これ以上ローザに人を殺させんじゃねぇ。どっちがローザのためになるか、よく考えんだな!」
「……!」
その言葉で、ローザが焼き払ったゴロツキたちに目をやる。
もはや誰であったかもわからなくなった、三つの塊。正気を失っていたとはいえ、彼らをこうしたのは紛れもなくローザなのだ。
――ローザが正気に戻ったとき、このことを知ったら……。
彼女が抱えるであろう罪悪感を思うと、なんとも言えない重さを感じた。決意したシィクは剣を抜き放ち、構えをとる。
「ローザを、止めよう!」
シィクの瞳は、か弱くも力強い決意をみなぎらせていた。
「いいかシィク、お前はローザの隙を作りながら術で援護しろ」
「えっ!?」
「お前じゃ大事なとこで良心の方が勝っちまう。絶対な。……その点俺は…」
「こういうのには慣れちまってんでな」
そう呟くリヴァルは、どこか諦めたような表情を浮かべている。瞳には、普段の生活では決して見せない感情を宿していた。
「リヴァル……?」
「ッ……行くぞッ!」
リヴァルが駆け出す。シィクもその後を追うように、ローザとの間合いを詰める。ある程度の距離を保ち、詠唱を始める。
彼の周りに紫色の陣が展開する。集中力を高め、発動させる術をイメージする。
「雷よ……ライトニング!」
紫色の飛沫が舞い、ローザの頭上から微弱な雷が落ちる。一瞬、動きを止めるローザ。上出来だ! と叫び、リヴァルは裏拳を繰り出す。
「双打鐘ッ!」
ローザの頬を捉えた一撃に続き、ハルバードを振り上げる。手加減してはいるのだろうが、親友が武器を交える姿を見るのは、正直、気が気でない。
「まだだぜ、双打連蹴ッ!」
リヴァルはそこから二連続の回し蹴りに繋げる。空中に身を晒したローザに防ぐ術はなく、無防備な胴に重たい蹴りが入った。
落下したローザに追撃は加えない。あくまで気絶させることが目的だからだ。余計なダメージは与える必要がない。立ち上がるローザ、気配に変わりはない。
「ダメか……!」
「結晶術、待機しておくよ!」
ライトニングの詠唱を始め、いつでも発動できる状態で待機するシィク。リヴァルはハルバードを構え直し、ローザの攻撃に備える。
突進するローザは、鉄扇を激しく振り回す。その動きは鋭く、殺意を感じさせた。
「舞焔! 連牙弾ッ!」
「がっ……!」
躍るように扇を振るう。その軌跡に炎が走り、リヴァルの身を焼いた。そこから瞬息の五連撃に繋がる。防ぐこともできず、扇と蹴りの直撃を受けたリヴァルは力無くその場に崩れ落ちる。
すかさず間合いを詰め、身体をねじる。
「リヴァル!」
「烙爆襲舞ッ!」
真紅の竜巻がリヴァルを包む。宙を舞うリヴァルに、ローザは追撃の結晶術を詠唱し始めた。
「猛る炎獣よ、彼の者を焼き尽くせ――」
「させない……! ライトニング!」
ここしかないと、シィクは術を発動させた。
再びローザに硬直が生まれ、隙を生むべく剣を振り上げた。
「魔神剣!」
地を這う衝撃波がローザに命中する。ぐらりと体勢を崩し、こちらに敵意を剥き出しにする。
「終わらないならッ! 私が全部終わらせてやるッ! 消えてしまえぇッ!!」
声を荒げるローザ。言葉の真意は読めないが、シィクたちは必死に語りかける。
「ローザ、正気に戻って! これ以上、傷つけたくないし、傷つけさせたくないんだ!」
「おい、聞こえてんのかよッ! ローザッ!」
「きゃっははははははは!」
ローザは恍惚の表情を浮かべ高らかに笑う。話は通用しないようだった。いまのローザは自らを制御できていないように思える。溢れ出る力に身を任せているだけのようであった。
「くそっ、埒があかねえ……! おいシィク、次で決めっぞ! 気ィ引き締めろ!」
「……っ、わかったよ……!」
剣を眼前に構え、詠唱を開始するシィク。今度はライトニングではない。リヴァルを援護するための結晶術だ。
詠唱のフォローに回りつつ、反撃できる位置へと駆け出すリヴァル。
「我らの道に稲妻の閃きを! 導きの雷(ひかり)、いま切り拓け! アンバーウエポン!」
リヴァルのハルバードが紫電を帯びる。しかしその光は弱々しく、心許ない。
「クソッ! これじゃ足りねえが……仕方ねえ! 行くぜッ!」
「リヴァル! 続けて援護するよ!」
詠唱を終えたシィクはリヴァルの元まで駆けていた。驚きに目を見開くリヴァル。
直後、ニヤリと笑ってハルバードを下段に構える。
「ヘッ、お前もちったぁやるじゃねえか!」
「雷のラピスよ、力を!」
剣とハルバードを振り上げる。そのまま飛び上がる二人の眼前――ローザに、落雷が発生する。落下の勢いを利用して、得物を叩き付けた。
「「襲爪雷斬ッ!」」
落雷と斬撃の連携攻撃。ぴたりと呼吸を揃えた一撃に、ローザはしばし苦悶の表情を浮かべる。
「やったか!?」
万一に備え、距離を取る二人。ローザはしばし静かに立ち尽くしていたが、操り人形の糸が切れたように倒れた。
終わったのだという実感と、遅れてやってくる危機感。ローザは無事か、慌てて駆け寄るシィク。
「ローザ!」
倒れたローザを抱き起こし、様子を窺う。いままでのことが嘘であったかのように、安らかな顔で寝息を立てていた。安堵したのと同時、張り詰めていた緊張の糸がぷつんと切れる。
「リヴァル、ローザは……大丈夫そう、だよ」
「はぁっ…。……ったりめー…、だろ…ッ。殺すわけ、ねぇだろ……」
「くっ……しかし、マジで、ヤッベェな。甘く、見てた……ぜ」
リヴァルも同様に、ようやく終わったという実感が湧いたのか、限界が訪れたのか、がくりと膝をついた。
「リヴァル!?」
「っせーな……生きてるっつぅの。勝手に、殺してんじゃねえ」
言い切って、リヴァルはそのまま倒れた。彼も相当疲労していたようで、ローザと同じく深い眠りについているようだった。
極限の状態で戦っていた三人、早く村に戻って怪我の治療と休養をとらなければ。
しかしそんな体力さえ残っていないシィクは、その場にぺたりとしりもちをついた。
「なんか、大変なことになっちゃった……よね」
安心したのはあるものの、これから起こるであろう事態を予期して、シィクは頭を抱える。
そこで、彼の頭痛の原因が駆けて来た。三人の名前を呼びながら。
「ええっ……」
焦るシィク。予期していた事態は、思いのほか早く訪れたのである。
「これは……!?」
駆けつけた人物――ロックスは絶句した。
服も身体もぼろぼろで、自力では到底動けそうにない三人。無残にも周囲に転がる焦げた肉塊、もうもうと煙を立て、微かな炎が残るこの状況。
尋常でない光景を目の当たりにしたロックスは、いつも見せる顔とは打って変わって、険しい表情を見せる。身にまとう空気も、優しげなものから鋭いものに変わっていた。
「詳しいことは、後で聞かせてもらうからな」
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