「牙連噛砕撃ッ!」
魔物の悲鳴がエピオス村を裂く。抵抗の意志を失った魔物の頭を、リヴァルは乱暴に蹴飛ばした。周辺には、多くの魔物の姿。狼、猿、小型のものばかりだが、ひとりで相手取るには数が多すぎる。たまらず舌打ちした。
「ハアッ、ハアッ、クソッ! なんだこいつら、なにかに呼ばれたみてぇに集まってきやがる!」
訓練では見せたことのないほど余裕がないリヴァル。呼吸は乱れ、限界は近づいていた。
「……っ、さすがに、この状態で戦うのも限界ってもんが……!」
いつもなら小型の魔物程度取るに足らないリヴァルも、果てのない連戦に動きが鈍くなりつつあった。
ベルトにつけているポーチから、黒紫色のラピスがついた腕輪を取り出した。異様な気を放つそれに、すがるような目を向ける。
――いまならシィクたちも居ねえ。このラピスの力を使えば……ッ!
「リヴァル!」
「ッ!?」
遠くから聞こえてきたシィクの声。ハッとして腕輪を隠した。シィクがそれに気づいた様子はない。
駆け寄ってきたシィク、その後ろにはローザの姿もあった。
「よかった、リヴァルも無事みたいだね!」
「ったりめーよ! それよりお前ら、は……」
ローザの様子がおかしい、一目でわかった。下手に問い質してこれ以上気持ちを乱すのは好ましくない。まずは目の前の敵を殲滅すること。
そのために必要な男はいま――そう考え、髪を掻き乱す。
「あー、クッソ! こんなときにロックスのやつは何処行ってやがる!」
「大丈夫だよ、リヴァル。兄さんなら必ず来てくれる。この魔物たちだってなんとかしてくれるよ」
「ほぉ〜、その“兄さん”とやらは強いのかァ?」
聞き覚えのない野蛮な声。シィクが振り返ると、そこには禍々しいデザインの大鎌を携えた長髪の男がいた。背後には数多の魔物を従えている。エピオス村の住人ではないことは明らか。
男は辺りを見回す。村に対しての興味、好奇心ではあるが、村そのものに目を向けてはいないようだった。
「しかし、チンケな村だよなあ? ――まっっったく満たされねえ」
最初は小馬鹿にしたような声だった。田舎だと嘲笑うかのような。それに続いたのは不満を爆発させたような声。いったいなにを求めているのか、三人は皆目見当もつかない。
最も近いリヴァルの横を抜け、動けないローザには目もくれず、シィクの襟を乱暴に掴んだ。他の人間には興味がない、とでも言いたげに。
「――あのゴロツキどもをぶっ殺したのは、テメェか?」
心臓を直接握られたような息苦しさと、全身を硬糸でがんじがらめにされたような緊張感がシィクを襲った。
男の言葉に、ゴロツキたちと戦ったときの記憶が蘇る。この男は兄と自分たちしか知らないはずの秘密を知っているかもしれない。それがシィクの心臓を大きく跳ねさせた。
「え……」
なんと答えるのが正解か。慎重に言葉を選ぼうとするものの、男はシィクのポーチから小さな袋を取り上げる。それはゴロツキたちと戦ったあの日、森の中で拾ったものだった。
男は野卑な笑みを浮かべ、小袋をふらふらと目の前で踊らせる。
「こいつはなァ、俺様があいつらに持たせたものなんだ」
おかしそうに笑う男。袋の中から妖しく輝く黄色いラピスを取り出す。男は恍惚そうな表情を浮かべた。
「レベルの低いラピスはどうでもいいが、こいつだけは特別でなァ」
わざとらしいほどの声、しかしそこには震えるほどの狂気が滲んでいた。
「このラピスのオーラを追えば、持ち主がどこにいるのかすぐに判るんだよ。驚いたぜェ? ヤツら、焼き殺されてンだもんなァ!」
驚いた、とは言うものの。男の表情にはむしろ愉快さが張り付いていた。これほど面白いことはない、とでも言いたげな。
男の言葉に最も強い反応を示したのは、ローザだった。
「焼き、殺され……? ロックスさんが来て、助けてくれたんじゃ……?」
しまった、と息を飲むシィク。ローザには余計なショックを与えぬよう、ロックスが助けてくれたと話していた。ロックスには内緒で、だ。
このことに関して、あとで知られて叱られるかもしれないことは予想していたが、赤の他人に触れられることになるとは思ってもみなかった。リヴァルはたまらず舌打ちする。
そんな三人のことなど意にも介さず、男は大鎌を掲げた。
「ここには別の目的もあるけどな、まずはヤツらをぶっ殺したヤツと手合せしてェ! ヒッヒヒヒィ!」
狂っている。
いままで平穏無事な生活しかしていなかったシィクとローザにとって、この男はまったく異質な存在であった。会話が通じる相手ではない、だからと言って――
「うっ!?」
再び襟首をを掴まれ、凶悪な顔が迫る。
「なァ? テメェがヤツを殺ったんだろ?」
「ち、違……」
「俺様と戦え。当然、楽しませてくれるよなァ!」
「そんな、僕の話を聞い……」
目の前の異質な男が、もはや同じ人間には見えなかった。姿形が自身と同じ種族なだけであって、本質はもっと別なもの。そう思わせる、人外の威圧感があった。
シィクに戦う意志がないことを汲んでか知らずか、男はニタリと不気味に微笑んだ。
「俺様と勝負すれば、この魔物達、一匹残らず森へ返してやるぜェ」
「えっ?」
思いがけない提案であった。だが、幾ら人間離れした存在感を放っていても、そんな力があるとは思えなかった。
男はヒヒッと邪悪な笑みを浮かべ、両手を大きく広げた。
「なんせ、こいつらをここへ招き入れたのは! この俺様だからなァ!」
「そんな! どうしてそんなことを!」
まったくもって不可解だった。こんなになにもない田舎に、魔物を引き連れ襲撃する意味がまるで見出せない。
この男のせいで、みんなの平穏が……。
シィクの中で感情が複雑に渦巻く。
男はここで初めて、シィクの問いかけに反応した。
「ッヒヒ、この村にいる『特別な力を持つ人間』を連れて来いという命令でなァ。ただ探すだけじゃつまんねェから、ついでに炙り出してやろうと思っただけさァ」
「特別な、ちから……?」
「それって……まさか……?」
シィクは視線だけをローザに向ける。リヴァルの表情もどこか緊張が走っていた。
「なに言ってやがる! この村にはそんなヤツはいねえ! この状態を見りゃわかんだろ!」
それはシィクの視線をごまかすためか。リヴァルは男の手首を掴み、シィクを引き離そうとする。リヴァルの声で僅かに気を持ち直したシィクもようやく言葉を発した。
「そ、そうだよ! この村にあんなすごい力を持ってる人なんて、いるわけないよ!」
「って、おい!?」
思わず反応してしまい、もはやごまかしようがないことに気づいてしまったリヴァル。
男の顔を見ると、生餌を前にした野獣のような顔をしていた。
「あんなすげえ力……かァ。ッヒ、ヒャッハハハハハ! そうかァ、面白ェなァ!」
高らかに笑う男。「これ以上の愉しみがあるか!」と、気分の昂ぶりを隠すつもりもなく、ただ本能に忠実に笑った。直後、表情が一変。鋭く、険しい。野獣から猛禽類へと変化した。依然として狩る側の顔であることに変わりはない。
「いるんだな? この村に」
ぞわりと肌が粟立つ。シィクは言葉に詰まった。なにを言うのが正解か、ではなく、なにを言っても最悪の結果となる。そう確信してしまった。
リヴァルはシィクの横腹を肘で小突く。
「シィクおめぇ、バラしてんじゃねぇよ」
シィクとしては、リヴァルの嘘を手助けするための言葉だった。普段、嘘を吐くことになれていないシィクの言葉は状況を悪化させただけであった。
選択を誤った、リヴァルに任せておけば……後悔がシィクを激しく責め立てた。
男は大鎌を高く掲げ、全身から殺気を放つ。こうなってしまっては戦闘は免れない。
「テメェの強さ、楽しみだなァ! いくぜェェェ!」
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