アヴァリタは再び臨戦態勢を取る。
ロックス一人では危険だ。そう感じたシィクは剣を取り、ロックスの半歩後ろに立つ。
「シィク、下がっていろ」
「できないよ! 回復の結晶術くらいは使えるんだ、兄さんの援護に専念する!」
「……ッ、無茶だけは、するなよ」
シィクの援護を渋々了承したロックス。大剣を構え、アヴァリタの攻撃に備える。アヴァリタが大鎌を腰溜めに構えると、武器に宿った雷がいっそう激しさを増す。
「瞬雷鎌ッ!(しゅんらいかい)」
振り抜かれた大鎌は巨大な雷の波動を発生させた。先ほどローザに放ったものとは、威力もスピードも段違い。ロックスは咄嗟にシィクを突き飛ばし、自身は大剣を盾にしてそれを受けた。
凄まじい衝撃と共に、ロックスの大剣の腹が焼け焦げる。
「ぐぅッ……!」
「兄さん!」
「受けんのかよォ!? ヒヒッ、舐められたもんだなァ!」
アヴァリタが接近する。狂気を滲ませた笑顔は根源的な恐怖を煽るものがあった。シィクは回復の結晶術の詠唱を始める。ロックスも大剣を構え直し、足元に魔法陣を展開させる。水属性の結晶術だ。
「慈愛の導きを……ファーストエイド!」
「忠実なる導きを! アクアエッジ!」
剣を掲げるシィク。淡い光が発生し、ロックスを包み込む。文字通りの応急処置であるが、少しでもロックスの疲弊を癒すことが目的だ。
ロックスの詠唱も同時に終了し、魔法陣が弾けた。大剣を振るい、高圧の水を放つ。当たれば真っ二つ。しかしアヴァリタが回避する様子はなかった。
水の刃は彼の右腕を切り裂く――はずだったのだが、彼の身体に命中したと同時に弾けて消えてしまった。
「なんだと!?」
「なんだいまのはァ!? 水浴びしてんじゃねェんだぞッ!」
アヴァリタは疾走の勢いをそのままに大鎌を振るった。大剣で弾こうとするロックスだが、両者の刃が衝突した直後、落雷が発生する。刃を、柄を通してロックスに落雷が襲った。
「くっ、これでは……!」
「キッヒヒ、貴様は俺様のラピスと属性の相性が悪ィみてェだなァ! ――トドメ、いかせてもらおうじゃねェか!」
「兄さんッ!」
アヴァリタは身体を捻りながら大鎌を振るう。雷の竜巻が発生し、ロックスを吹き飛ばした。彼の身体に雷の残滓が見える。受け身も取れずに落下したロックスは全身の痺れとダメージで、もはや戦闘続行は不可能であった。
「くぅっ……!」
「まあまあ面白かったがよォ、もっと楽しませてほしいよなァ!」
高笑いするアヴァリタ。まさかロックスでも敵わない相手がいるなんて。シィクが抱いた希望は粉微塵に打ち砕かれ、戦う意志も完全に失せてしまった。
アヴァリタの目がシィクを捉える。蛇に睨まれた蛙とはこのことで、呼吸さえ許されない緊張感が全身を硬直させる。
「残るは貴様だけだ!」
「うっ」
「安心しな! すぐに殺したりしねェ、からよォッ!」
「くうっ! っぁあっ!?」
振り下ろされる大鎌を受け止めるものの、もとの力が違い過ぎる。受けきれずに吹き飛ばされてしまった。無様に転がった先、満身創痍のローザが表情を歪めた。
「シィク、大丈夫!?」
「うっ、ローザ……?」
回復の結晶術でシィクを癒すローザだが、彼の口から出てきたのは感謝ではなく心配の言葉だった。
「僕のことはいいから、ローザは早く逃げ……ッ!?」
霞んでいた視界が微かに開けて、見えたのは武器を振り上げるアヴァリタ。警告も間に合わず、大鎌の一撃で吹き飛ばされるローザ。シィクの喉から悲痛な音が漏れる。
「きゃあっ!」
「ローザ!」
「待ちな!」
慌てて駆け寄ろうとするシィクだが、首元に紫電をまとった大鎌の刃。止まれなければ、そのまま首が落ちていただろう。
「まだ勝負は終わってねェ!」
彼の顔からは先ほどの愉悦は窺えなかった。ロックスでさえ、彼を満たすことはできなかった。もはや楽しめないと感じたアヴァリタの口元は不愉快そうに歪んでいた。
シィクは歯を食いしばり、やがて、項垂れた。
「……だよ」
「んァ?」
「無理だよ……っ! 僕には、できない……」
シィクの声は震えていた。声を出すことすら厳しい精神状態にありながら、なんとか意志を伝えようと搾り出しているようだった。
「僕には、戦えない……兄さんや、リヴァルだって、歯が立たなかったんだ……僕に、か、勝てるわけが、ないよ……!」
アヴァリタは大鎌を引いた。見逃してくれるとは思えなかったが――。
「うわっ!?」
振り返ったところ、襟をアヴァリタに掴まれた。力任せに引き寄せられ、凶悪な顔を目の当たりにして、シィクの鼓動は早まるばかり。
アヴァリタは、ギィ、と邪悪な笑みを浮かべる。
「貴様はこういうとき、力が欲しいと思わねェか?」
「……えっ?」
企みが透けて見えるような、低い声音と表情。その問いかけの真意はシィクにはわからない。
――力が欲しいと思わないか?
「つ……強くは、なりたい……とは、思う」
煮え切らない言葉が漏れる。その言葉自体に偽りはない、はずだった。
「……けど、僕には、やっぱり無理なんだよ……っ!」
言葉とは裏腹に、気持ちは諦めに向いていた。
アヴァリタの顔が怒りに染まるのは必然だった。
「ああァァァ! つまんねェ! つまんねェヤツだな貴様ぁ!」
頭を掻き毟り、感情に任せた大声でシィクを罵倒する。先程とは違った狂気を覚え、シィクはただ震えることしかできない。
「欲張れよ! もっともっともっともっと! 欲を出せよ! 力が欲しいと求めろよォ!」
掴んでいたシィクを乱暴に地面に叩きつける。背中を強かに打ちつけ、肺の空気が押し出される。痛みと息苦しさに、もはや言葉を返すこともできないシィク。
「シィク……っ! くう、うう……!」
立ち上がろうとするローザ。しかし疲弊が大きく、意志の弱いシィクがいたずらになぶられる様子を眺めているしかできなかった。アヴァリタはシィクを焚き付けるような言葉を投げかけているようだが、感情が昂ぶりすぎていて明瞭には聞き取れない。
幼馴染みが、手も足も出せずに痛めつけられている。それなのに、自分はなにもできない。ローザの胸を悔しさと恨めしさが突き刺した。
「……どうして、こんなときまで……なにもできないの……! 私、本当に、なにもできないの……?」
――おい、貴様はこういうとき、力が欲しいと思わねェか?
先程のアヴァリタの言葉が脳裏をよぎる。何度も、何度も。
……そう。欲しい。
朦朧とした意識の中、微かに浮かび上がる力への欲求。
どくん、と一際大きな鼓動。聞こえたわけではないだろうが、アヴァリタの関心がシィクからローザへ向いた。彼女の様子に違和感を覚えた、その程度の感覚だっただろう。
「んァ?」
「……っ」
――私は、力が、欲しい!
瞬間、ローザの中でなにかが弾けた。
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