「――ト、すまねえ。俺の力が足りねえばっかりに!」
「ううん、リ――ルのせいじゃないよ」
少女の声は快活なものではない。 疲れが隠せていなかった。謝った少年よりももっと、つらそうに、申し訳なさそうに笑って見せてはいる。少年にとって、これ以上の屈辱はなかった。
「お前のこと助けてぇのに、なにも出来ねぇ! お前がなにかに耐えてるところを見守ることしかできねえんだ……」
うつむく少年。声も身体も、悔しさに震えていた。
「……クソッ!」
堪え切れず、熱い雫が頬を伝い、落ちる。助けたいのに、力がない。その現実は変えられない。そんな少年を見て、少女の陰りが増した。
「――ァル……」
なにを言えばわからない少女、なにも言えない少年。重たい沈黙が幼い二人を包み込む。その空気を払ったのは、少女の手が打ち合わせられた音だった。
「そうだ! わたしがリヴ――に強いラピスを作ってあげる。きっと力になってくれるはずだよ」
少女は両手を前に伸ばす。向かい合った手の間に不可思議な光が生まれた。光は徐々に大きくなっていき、全てを白に染めていく――。
「……え? あっ」
ほんの少しだろうか、意識が飛んでいたことに気づいたローザ。目の前には、獣のような笑みを浮かべたアヴァリタがいた。跪くローザを、舐めるように見下ろしている。
「おい女。貴様、いい欲を持ってるじゃねえェか」
「よ、く……?」
「力が欲しいか?」
心臓が大きく高鳴る。鼓動も早まり、呼吸もままならなくなる。
「ぁ……あぁぁ……!」
ローザの中でなにかがうごめく。悔恨、後悔、謝罪。さまざまな感情が音と質量を伴ってローザの肉体を侵食していった。
「あ、うぁああああっ、ああっ!」
異変に気づいたシィクとリヴァルは、もはや立つこともできなかった。
「ローザ!」
「ッ、あれは! おいローザ、しっかりしろ!」
度重なる傷で掠れた声はローザには届かなかった。
ゆらりと立ち上がるローザ、その目は以前、エピオスの森でゴロツキたちを相手にしていたときのものと同じだった。
「ちから……殺……殺ス、ちか、ら……」
ローザはうわごとのように呟く。傍目にも正気とは思えなかった。
その姿を見て、アヴァリタは笑う。嘲る様子はない。むしろ、これまでで最も大きな悦びを感じているようだった。
「ッヒヒヒ! すげぇ、この女の欲望、たまんねェなァ!」
「あの野郎……!」
アヴァリタがシィクに詰め寄っている間に、自身とリヴァルを治療していたロックスは構えを取ろうとするリヴァルを手で制した。
「リヴァル、俺はシィクの手当てをしてくる。お前はアヴァリタに余計なことをするんじゃないぞ」
「ッ! チッ、わかってらぁ……」
リヴァルは少しでもアヴァリタに手傷を負わせられれば、と考えていた。しかしロックスをも打ち負かしたアヴァリタに、手傷を負った自分が相手になるはずもなかった。浅はかな考えを見抜かれ、リヴァルは不満に思いながらも頷いた。
シィクの元へと走るロックス。気が動転していたシィクはたまらず叫んだ。
「ローザ! それ以上はあのときみたいになってしまう! ……ローザ!」
「あのとき? ……まさか、以前シィクが話していた……!」
しまった、と口を塞いだときにはもう遅い。ローザに異変が生じた際、ロックスはローザに危害を加える可能性があると思っていた。止めようにも、ロックスの治癒術なしでは動くこともままならない。
「欲……望……」
ぽつりと呟くローザ。なにかに気づいたように目を見開き、自身の中でうごめく“なにか”に抗うように叫び出した。
「あ……う、あっ……! ぁあああああっ!」
ローザの目の前に光が発生する。光は徐々に肥大化し――収束。いつもの優し気なローザはなりを潜め、彼女の前にはひとつのラピスが創り出されていた。それはゴロツキ戦のときのように砕けることはなく、宙に浮いている。ローザはそれを乱暴に掴み取ると、アヴァリタへ獰猛な視線を向けた。ありったけの敵意を込めて。
「っ、あれは……本当に、ローザなのか……?」
シィクから大雑把に話を聞いていたとはいえ、あまりの変貌ぶりに驚きを隠せていないロックス。
一方、アヴァリタはかつてない歓喜の笑みを浮かべていた。
「ラピスを……創り出した、だと!? ッヒヒ、ひゃっははははは! おもしれェ! すげェ! すげェよ貴様の力ァ! 最ッ高じゃねえか!!!」
雷をまとった大鎌を二、三度振るい、臨戦態勢を取るアヴァリタ。
「その力、俺様に寄越せ! 貴様を殺して、その力ァ……俺様のものにしてやらァ!」
「うあああぁぁあああああっ!」
疾風の如く駆けるローザとアヴァリタ。
先に得物を振るったのはアヴァリタだった。
「墜雷閃ッ!」
「うあああっ!」
ローザはそれを避けない。左肩を深く切り裂かれ、雷の追撃を受けてなお、止まらなかった。アヴァリタは愉快そうに笑った。
「いいじゃねェか! これならどうだァッ!?」
大鎌を振るい、回転。紫色の閃光を帯びた竜巻は確かにローザを捉えた、直撃だった。それでも、ローザの戦意を削げない。
「ああ!?」
「飛燕連脚!」
大振りな技の後、隙が生じたアヴァリタに舞うような連続蹴りを浴びせる。
急所、急所、急所。人の身体を持つ以上避けようのない弱点を的確に突いていく。これにはアヴァリタもたまらず体勢を崩す。連撃は止まらない。
「臥龍空破!」
鉄扇を振り上げ、その勢いで自らも上空へ。回避できなかったアヴァリタは軽々と宙に打ち上げられる。ローザは空中で身を翻し、トドメの一撃。
「吹き飛べェッ!」
突き出された両手から獅子の頭を象った闘気を放ち、アヴァリタを地面に叩き落とす。受け身も取れず、地面は砕け、アヴァリタはさらに跳ねる。着地したローザは結晶術を展開した。
「導け、炎神の御手(みて)! 其は万象灰塵へと誘(いざなう)う憤怒の炎! 終(つい)に成るは塵芥(ごみあくた)! ――エクスプロード!」
紅蓮の魔法陣が弾け飛び、不穏な色の空から一筋の光。それはアヴァリタへ一直線に飛来し、大爆発を巻き起こした。あれでは、いくらアヴァリタと言えど、肉片すら残らないだろう。
誰もが、そう考えた。
ローザは止まらない。爆炎により発生した煙幕の中に一人で突っ込んでいく。
「ヒャハハァ! いいぞ! もっと来いよォ!!!」
アヴァリタは生きていた。雷をまとっていたことで結晶術に対して抵抗があったのだろうか。だとしても、あれだけの攻撃を受けて平然と、狂気を滲ませて武器を振るえるなどありえない。それに、ローザもそうだ。
ロックスは最後の警告を飛ばした。
「ローザ、このままではお前の身が保たないぞ! やめるんだ!」
――ローザには、届かなかった。
アヴァリタの攻撃がローザを捉え、彼女の自宅である教会の前まで吹き飛ばす。
「ぐぅうっ!」
「その力ァ、貰ったァァア!」
駆けるアヴァリタ、その大鎌に一層強い雷が宿る。
「!! っあ、ああああああああああっ!」
ローザの叫びに呼応してか、手に握られていたままのラピスが強烈な光を放つ。血のような、美しい赤色だった。
「なにィッ!?」
その光はどこかおかしかった。痛いのだ。肌が、チリチリと痛みを感じている。ただの光ではないものがローザの周囲、シィクやリヴァルたちをも巻き込んで広がっていく。
「うわぁっ!?」
「この光は……? リヴァル! お前は物陰に隠れて伏せるんだ!」
不測の事態で直感が働いたか、ロックスは早口でリヴァルに指示を飛ばす。リヴァルも今回ばかりは素直に従った。
ロックスはシィクを抱き寄せ、大剣を地面に突き立てる。
「防護陣!」
ラピスの力で、透明な防護壁を作り出す。半円のそれはあまり大きくないが、密着していればシィクも問題なく範囲内に収められる。だが、ロックスの懸念は別にあった。
「これで防ぎきれるのか……!?」
瞬く間に、周囲が赤に染まった。
「な、んだ、これはァッ……! クソッ、この女、面白ェ! 面白ェぞ! ヒッヒャハハハ!!!」
辺りが赤に包まれたと同時、ラピスが強く白い光を放った。
瞬間――なにかが引き金となったように爆発を起こした。
「うぉあっ!」
物陰を捜していたリヴァルだったが、爆発寸前のところで崩れた家屋の陰に身を転がらせた。しかし爆風は凄まじく、身を隠す意味をなさないほど。周囲の魔物たちは白く、灰になるように姿を消していく。飛んできた瓦礫や砂煙がリヴァルを襲う。呼吸も困難な状態だった。
シィクはロックスの防護陣の効果範囲にいたため無事だったが、技を維持するロックスは険しい表情だ。
……しばらくして、砂煙が風に攫われる。
辺りを確認すると、呆然と立ち尽くすローザと、瀕死のアヴァリタがいた。
「……! ローザッ!」
ローザは既に気を失っていたようだ。シィクが駆け寄るのと同時、操り人形の糸が切れたように、彼の腕の中に倒れ込んだ。
「ッヒヒ……ンだよ、これはよォ……。俺様、血だらけじゃねェか……ッヒヒ……」
立っているのもやっとのはずだ。だというのに、アヴァリタの顔に絶望は映っていなかった。
「がっ、あああ……! これ以上は……戦えねェ、なァ……? 今日のところは、退くとする……か。くっ、ヒヒヒィ……」
一人、ぶつぶつと呟くアヴァリタ。引き際をわきまえるだけの理性、あるいは警鐘はあるらしい。
しかし、彼は唐突に天を仰いだ。
「だがそのラピスを創り出す力ァ……必ず、俺様のものにして……やる、ぜ! ッハハ、ヒャハハ、ヒャアーッハっハッハ! ゴハァッ……! ッヒヒ、ヒャッハハハハハァ!!!」
初めからわかっていたことだ。この男の正気は既に異常であると。
いまさら驚くことではない、はずなのに。この場の誰もが、圧倒されていた。アヴァリタという男の欲深さに。
アヴァリタの足元に魔法陣が浮かび上がる。光が立ち昇り、消える。彼の姿は幻であったかのように掻き消えた。
嵐が去ったよう、とはまさにこのこと。緊張の糸がぷっつり切れたシィクたちは、力なくその場に倒れるばかりだった。
「……これはいったいどういうことなんだ!?」
すでに避難していた村人たちが、教会の地下から続々と姿を現す。先ほどの爆発が気がかりだったのだろう。脅威が去った後の村は、見るも無残に荒れ果てていた。これを、村人たちはどう捉えるのか。
「ローザ!」
「あっ……おばさん」
投げかけられる声。ローザの養母が、不安と焦りを瞳に映して駆け寄ってきた。後ろには、養父もいる。
養母はシィクと共にローザを心配している。怪我はないのか、意識はいつ戻るか、また笑ってくれるか。そんな言葉が交錯していた。
養父はというと、ロックスの元へ歩み寄っていった。
「ロックス……」
「村長さま……村やみんなを守れず、すみません」
「いんや、あのままではエピオスは絶滅していたと思うておるぞ」
憔悴しきったロックスはローザの養父――村長の言葉を素直に受け止められなかった。苦々しい笑みを返して、視線をシィクたちの方へ向ける。
「いえ、皆を避難させたのも、村を救ったのも……シィクやリヴァル、そしてローザの三人です」
「……ロックスが言うのなら、そうなんじゃろうな」
村長も、それ以上はなにも言わなかった。ロックスの胸中を察してのことだった。
「あとのことは村の者に任せなさい。おぬしたちは、怪我の手当てをせねばの」
村長の労わるような言葉。
ロックスたちは、己の無力さを噛み締めながら、傷を癒すこととなった。
――そしてまたひとつ。物語の歯車が噛み合い、回り始める。
終わりを迎えたはずの戦い。その第二幕が、もうすぐ始まろうとしていた。
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