あの惨劇から二か月ほど経ち、村は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
一時は安静にさせられていたリヴァルやローザの怪我もすっかり回復し、シィクたちはロックスから「大事な話がある」と、村長のもとへ呼び出された。
ロックスはかしこまった様子で村長と向き合っている。
「村長様、突然すみません」
「構わんぞ、ロックス。して、大事な話とは?」
「はい。……実は、シィクとローザを連れて、村を出ようと思うのです」
ロックスの提案に、その場にいた全員が瞳に驚きを映した。
「村を出るって……兄さん、どうして?」
最も混乱しているであろうシィクの質問に、ロックスは毅然とした声で応じる。
「先日のアヴァリタの襲撃、あいつの狙いはシィクでした。勘違いとはいえ、シィクがこの村にいてはまた襲撃に遭うでしょう。さらに、奴はローザの持つ不思議な力を欲していました」
「私の持つ、不思議な力? ……なに、それ。どういうことなの?」
「……やはり、覚えていないか」
ロックスの独り言は、この場の誰にも聞こえていないようだった。
ローザの動揺が大きくなることを懸念したシィクが慌てて口を挟む。
「兄さん!」
「力については私にもわかりませんが、アヴァリタがローザにそう言っていました。おそらくこちらも人違いなのでしょう」
シィクが訴えたいことを理解してか、ローザの異変については触れなかった。この場で余計な動揺や混乱を誘う必要はない。伏せておくべき事柄は、しっかり把握しているのがロックスであった。
「しかし、アヴァリタはシィクたちを追ってくるでしょう。ですが……いまの私では、勝機はありません」
「おいおいロックス! おめぇがそんなこと言ってどうすんだ! じゃあなにか? いまから死に物狂いで修行でもするってのか!? 明日には攻めてくるかもしんねえぞ!?」
アヴァリタには、勝てない。
そう断言したロックスに、リヴァルは皮肉めいた不満をぶつけた。村長はロックスの目的を理解したらしく、小さく息を吐いた。
「なるほど、王都アエテルヌムを目指すのじゃな?」
「王都?」
エピオス村の周辺しか知らないシィクは、王都のことなど一切知らなかった。なぜロックスが王都を目指すのか、なにを頼りに王都を目指すのか。
シィクの疑問に応えるように、村長が言葉を続ける。
「騎士団の力を借りるのか……」
数年前まで、この世界――ノードゥスは世界崩壊の危機に直面していた。
王都アエテルヌムには、その危機から世界を救った騎士団が存在する。ロックスはその力を借りようとしているのだった。
シィクにそう補足したローザは、不安そうに腕を組んだ。
「でも、王国の騎士様がわたしたちの話なんか聞いてくれるのかな?」
「それは大丈夫だ。俺は以前、あの騎士団の団長に命を救ってもらったことがあってね。この話は、村を出てからゆっくり話そう」
どんどん現実味を帯びてくる話に、取り残されたような感覚を覚えたのだろう。リヴァルが口を出す。
「勿論、俺も一緒だよな?」
「いや、お前はこの村に残るんだ」
「はあ!?」
「その通り」という言葉が返ってくるとばかり思っていたらしく、素っ頓狂な声をあげるリヴァル。納得していない様子の彼に、ロックスは至極真面目な語調で説明を始める。
「いくらお前でも、いまのままではアヴァリタに勝つことはできない。それに、お前がこの村を守ってくれるなら、俺たちも安心して王都を目指すことができる」
「じ、冗談じゃねえぞ! 俺は村を守ろうなんて気持ちはこれっぽっちもねえ! 俺はシィクたちと一緒に行くからな!」
「リヴァル……しかしそれでは」
「うっせぇ! なんと言われようがついていくからなッ!」
ロックスの気持ちなど露知らず。さすがのロックスもリヴァルの強情さに根負けした様子だった。額に手を当て、ため息をひとつ。
「仕方ないな……」
ちらりと村長を見やるロックス。村長は力強く頷き、笑ってみせた。
「村のことは心配要らぬ。これからは村の者みんなで、このエピオスを守ってゆくぞ」
村長の言葉に、ローザの顔に影が差した。いままで育ててくれた養父母と、少しの間でも離れ離れになってしまうことが寂しいのだろう。その些細な変化を察知した養母が、ふわりと笑ってローザの頭を撫でた。
「いいのよ、ローザ。行ってらっしゃい。でも、ひとつだけ約束しましょう? ……必ず、この家に帰ってくること」
「おお、それはいいのう。約束じゃ、ローザ」
「お義父さん……お義母さん」
まだ不安げな面持ちのローザ。そんな彼女を見て、養母はそっと抱き締めた。
「私たちなら大丈夫よ。だから、安心して? 私たちも、信じてあなたを送り出すから」
「お義母さん……うん!」
「この世界は広いわ。もしかすると、失くした記憶のてがかりが掴めるかもしれないわよ」
養母の言葉にシィクの表情が明るくなる。
「そうだよ、ローザ! 村の外に行けば、見つかるかもしれない!」
「だな! じゃあ、行く先々でローザの記憶について探して回ろうじゃねぇか!」
盛り上がるシィクたちとは裏腹に、ロックスの眼差しは険しいものだった。しかし彼らがその目に気づくことはなく――
「では、明後日の朝に出発しようと思う。三人とも、しっかり準備しておくよう。わからないことがあればいつでも聞きに来てくれ」
「はい!」
「おう!」
「うん!」
シィクたちは勢いよく返事する。
命を狙われ、追われ、逃げることが目的だったはずの旅は、ローザの記憶を探す旅へとすり替わってしまった。
当初の目的に対する不安は薄れ、新たな目的に対する希望だけが膨らんでいった。
「やれやれ、遊びじゃないんだぞ。……あと、お前たちに確認しておきたいことがある。すまないが、これから訓練所に来てくれ」
ロックスの言葉にシィクの気持ちはすうっと現実に引き戻された。
――ここでは話せないこと、ローザの両親の前では話せないこと?
シィクの胸中に、新たな不安の種が芽吹き始めた。
言われた通り、訓練所に集まった三人。
ここはもともと民家も少なく、爆発の中心地から離れていたこともあり、魔物に荒らされた形跡はない。爆発の被害も比較的小さかった。
険しい眼差しをシィクに送り、ロックスは口を開く。
「さて、旅に出る前に確認しておきたいことがある……シィク」
まさか名指しされるとは思っておらず、シィクは表情を強張らせた。
「お前はこの先、戦うことができるのか?」
「えっ!?」
「アヴァリタが攻めてきたとき、お前は戦うことを拒んだ。あのとき、自分がなんと言ったか覚えているか?」
あの日のことが鮮明にフラッシュバックする。胸に湧いた感情は、自己嫌悪ではない。恐怖だった。
――僕には、できない……。
「あ……」
「おいロックス、なに言ってんだ。戦わねえなんてことあるはずがねえだろ!」
シィクの顔から余裕が剥がれていったことに気づいたリヴァルが口を挟むが、ロックスは弟から目を逸らさない。
「てめえ、聞いてん……」
「俺はシィクに訊いているんだ」
自分の主張があっさりと流されてしまったことに、リヴァルは舌打ちで抵抗する。
不穏な空気になる中、シィクは震えた声で答える。
「……できない、かも……しれない」
ロックスの放つ空気が微かに鋭くなる。シィクは覚束ないながらも、自分の考えを言葉にし続ける。
「さっきまでは、考えてなかった。だから、大丈夫だった。……けど、いま兄さんに言われて、あのときのことを思いだしたら……急にっ、怖くなって……」
声はどんどん震えていく。シィクの心がそのまま音になって流れているようだった。冗談で言っているわけではない。それだけは、この場の全員が理解していた。
シィクはなおも心を垂れ流す。
「あのとき、本当に死ぬかもってしれない思った。けど、僕の力じゃ、どうにもできないこともわかってて。死にそうなときって、あんなに怖いんだって……」
アヴァリタの大鎌が喉元に突き付けられたときの感覚、凶暴な顔が迫ってきたときの恐怖。なにもかもが当時のまま、シィクの身体に襲いかかった。
「いつもは、みんながいれば大丈夫だって、思ってた。……けど、今回はそうじゃなかった。みんながいるから絶対に大丈夫、なんてこと、ないんだよ……」
リヴァルは呆れた様子でため息を吐いた。ロックスは厳しい顔のままシィクを見つめ、普段であればシィクを元気づけるローザですら沈黙していた。
シィクは、あの日感じた全てを語ろうとしていた。
「……悔しいんだ。悔しいけど、手が、震えるんだ……いまだって、思い出すだけでこんなに……!」
身体を大きく震わせ、いまにも泣き出してしまいそうなシィク。
この場の誰も、口が開けずにいた。シィクは、心の中にある一番強い感情を吐き出す。
「情けないのは、わかってる。けど……いままで、こんなこと、なかった。僕は……みんなみたいには戦えない。強くもないし……無理だよ」
重力が何倍にも感じる中、乾いた音が響いた。
――ローザが、シィクの頬を叩いた音だった。
「えっ……ロー、ザ?」
「無理なんて決めつけないで!」
驚き、開いた口がふさがらないと言った様子のシィク。ローザはシィクの手を握る。
「諦めたら先には進めないの! わたしは諦めない! 失くした記憶も、アヴァリタに勝つための方法も! ……わたしは、大事な人を守りたいから!」
熱の入った声。彼女の声も微かに震えている。溢れる感情を、必死に抑えつけようとしているのがわかった。
頬の痛みは、もう忘れてしまっていた。ローザの想い、悔しさ。彼女の中に渦巻くさまざまな感情が、声から伝わってきた。いまのいままで抱えていた恐怖心も、不思議と和らいでいく。
「……あっ」
ローザも、シィクと同じなのだ。先の見えない暗闇を進むことに、不安や恐怖を感じないわけがない。けれど、だからといって立ち止まっていてもそれが和らぐことはない。ならば、動くしか、変えるしかない。ようやくわかった。
シィクの顔に、僅かな光が差した。
「……そうだよね。無理だなんて言ってたら、進めないよね」
「シィク……」
「――吹っ切れたようだな」
ロックスの表情もようやく変わる。柔和で、頼りになる、いつもの彼だった。
――そうだよ。このままじゃ、なにも変わらない。それなら僕は、強くならなきゃ。もう、大切な人たちが傷つくのは、嫌だから。
「ありがとう、ローザ。いまは僕もそう思うよ」
シィクの目に、迷いはもうなかった。
「……僕は、大事な人を守れる力が欲しい」
ようやく一歩踏み出せたシィクに、ロックスとローザは安心したように笑う。いままで口を閉ざしていたリヴァルはため息を吐くと、おもむろにシィクの肩に腕を回す。
「ったくよぉ……シィク、おめえ手間かけさせんじゃねーぞ!」
「えっ? あはは、ごめんね」
しばし笑い合う。これからの旅に向けて、もう心配することなんてなかった。
「では予定通り、明後日この村を発つ。しばらく戻れないだろうから、準備は怠るなよ」
「それじゃ、向かおう! 王都アエテルヌムに!」
――この旅が後に、世界を巻き込むほど大きなものになることを、僕たちはまだ知る由もなかった。
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