「な、なんか大袈裟だなぁ」
シィクはたまらず苦笑した。
ロックスたちが村を発つという話はあっという間に広まり、いつの間にやら村人総出で送り出すという事態に発展していた。
村人は朗らかに笑う。
「なに言ってるんだよ、小さな頃からお前たちを見てきたんだ。旅に出ると聞かされちゃあ、顔を見ないわけにはいかないからさ」
「シィクは小さかったから覚えていないだろうが、ロックスが村を出るときも、こうやって村のみんなで見送りをしたもんだよ」
「そう、なんだ」
知らなかった、というような返事だったが、当時のことは記憶に残っていた。
父親が亡くなって間もなく、騎士になると言い出し、母と自分を置いて村を出て行った兄。いままでなにもかもがロックスに頼りきりだったシィクにとって、ひとりで母を支えるというのは大きな負担だった。
当時のことはなるべく考えないようにしていたが、村人の言葉で、ほんの少しだけ記憶が蘇り、あの頃抱えていた気だるさが肩にのしかかる。
「おー! マジか! すっげえなおい!」
リヴァルの声でハッと意識を引き戻されるシィク。視線の先には、村長が用意したという馬車があった。
さすがにやりすぎだと思ったのか、ロックスの顔にも僅かに困惑の色が浮かんでいる。
「村長さま、なにもここまでしていただかなくても……」
「遠慮など要らぬ。お前たちには、いままで世話になったからのう」
「しかし……」
なんと返せばいいか、言葉を選ぶロックスの手を、ローザの養母が握る。
「ローザのこと、お願いするわね」
熱の籠った言葉だった。その言葉からは純粋な心配、親心が感じられた。
「……わかりました」
そして、隣に立つローザに微笑みかける。
「ローザ、気をつけて行ってくるのよ。くれぐれも、無理はしないこと」
「うん、早く帰って来れるようにするから」
「ええ。待っているわ」
ローザの顔には、先日までの陰りはなかった。養母は安心したように息を吐く。シィクも同様に、安堵から胸を撫で下ろした。
「よし、みんな。準備は大丈夫だな?」
「少し心配だけど、大丈夫だと思います」
「足りなかったらそのときなんとかすりゃいいだろ」
大雑把なリヴァルらしい返事に、シィクはたまらず笑う。こんなに大きなことになっているのに、彼自身はなにも変わっていないからだ。ロックスもまた「お前らしいな」とでも言いたげな笑みを湛える。
「そうだな。王都まではかなり距離がある。今日は、ここから一番近い【護りの街バオム】を目指そう。そこで休み、翌日、港町ナーウィスへ向かう」
「港町?」
「ああ。王都へは船で移動した方が早いからな。それにナーウィスには騎士団と繋がりを持つ知り合いがいるんだ」
村を出たその先で、ロックスはさまざまな出会いを経たのだろう。それはエピオス村という狭い世界では絶対に得られないものだ。
シィクの口からこぼれたのはいつものように――
「そんな凄い人とも知り合いだなんて、やっぱり兄さんは凄いな」
兄の偉大さを再認識させる言葉だった。隣から、リヴァルのため息が聞こえる。
「『兄さんは凄い』ばっかりだなオメェは。ほら、さっさと行くぜ!」
リヴァルに背中を押され、シィクは馬車に乗り込む。不安と期待に満ちた顔をしていた。
御者の男はシィクたちが乗車したのを確認し、ニカッと笑う。
「準備はいいですかい? それでは行きますよぉ! ハァッ!」
鞭を叩き、馬が高らかにいななく。ゆっくりと、馬車は走り出した。
遠ざかるエピオス村、手を振り続ける住人たち。これまでの日常から、少しずつ離れていくのを感じたシィク。
ローザは村が見えなくなるまで、じっと後ろを見つめ続けていた。
――お義父さん、お義母さん。絶対に帰ってくるから。
「……行ってきます」
決意の込められた声は馬車の揺れにかき消された。
村をでて小一時間ほど経ったころ、シィクは次の目的地、【護りの街バオム】についてロックスに尋ねていた。
「エピオスと違う穏やかさがある良い街だ。 ローザは6年前に少しだけ立ち寄ったことがあるんだが、覚えているか?」
「え…? いえ」
ローザの返事に昔のことを思い出したらしいロックスは、少し小さなため息をつき話を続ける
「当時は精霊力の減少で【バオムの樹】も枯れかけていたから仕方がないか」
「バオムの樹?」
【バオムの樹】に興味を抱くローザに、リヴァルが窓から外を指さし答える。
「ココからも見えるあのデケェ木のことさ。世界樹の種から生まれたとか、精霊が集まって不思議なことが起こるとか言われてるな」
「なんだリヴァル、よく知っているじゃないか」
「俺はエピオスまで一人で旅してきたんだ、知らねぇわけ無えだろ。」
「はは、そうだったな。」
リヴァルが村に来るまでのことについて話を聞くと、機嫌が悪くなることを知っているロックスは、そこで話を終わらせた。
そしてまた、のどかな風景。鳥達の声、馬車の音が響く。
目的地【バオムの街】までは、まだ遠い。
「ここが……バオムの街?」
街は自然豊かな環境にあり、草花が生けられ、周囲の建物にも緑が植えられていた。
「すごい、建物がこんなにあるのに緑がたくさん…… え?」
感動した様子のローザであったが、直後、瞳が揺れた。
そよ風が頬を撫で、髪をなびかせる。その風に、声のようななにかを感じ取ったようだった。声を追いかけるように振り向くが、そこにいるのはシィクたちだけ。
「あれ?」
「ローザ? どうしたの?」
心配そうな面持ちのシィク。ローザは軽く首を横に振る。
「ん……、たぶん気のせい…… あっ! これが、バオムの樹……?」
見上げると既にバオムの樹の下を歩いていた。街全体を覆う枝葉、その隙間から木漏れ日が差しており、幾つもの光の柱が幻想的に建っている。
樹を見上げたままのローザ。そよ風が吹き、再び何者かの声を感じ取る。
――も、……の……が、聞……え……の?
なんと言っているのか、なにを伝えようとしているのか。必死に聞き取ろうと集中していると、眼前にひょっこりとシィクが顔を覗かせる。意識の外から突然現れたことで、ハッと我に返るローザ。
「ローザ、大丈夫? 」
シィクの声には不安が乗っていた。
馬車の移動が思ったよりも疲れていたのだろう、きっと空耳だ。ローザはそう言い聞かせ、口角を微かに上げる。
「なんでもないよ」
「それならいいんだけど……」
シィクの眉はまだ不安そうな弧を描いていたが、ローザの言葉を信じたようだった。
リヴァルは頭の後ろで手を組みながら、懐かしむような声をあげる。
「はー、しっかしこの樹も元気になっ……」
「おーい!!」
リヴァルの声に重なるように、人懐こそうな男性の声が聞こえてくる。声の主はバオムの樹が生えている方から走ってきていた。
見覚えのない顔に、シィクはきょとんと目を見開く。
「あれ? 誰だろう?」
「隊長ーっ!」
手を振りながら発せられたその言葉に、二人の表情が微かに揺らいだ。
一人はロックス。予想外だ、と言いたげに。
もう一人はリヴァル。警戒心を強めた獣のように。
シィクは男性の服装を見て、ハッと気づく。
「あれは、騎士さま? ……でも、隊長って?」
誰もそれらしい反応を返さなかったが、男性はひたすらに「隊長」と叫びながらシィクたちの元に駆け続け――ロックスの前で立ち止まる。
「隊長! お久し振りです!」
姿勢を整え敬礼する姿は、まるで上司への対応だ。
男性の声からは犬のような人懐こさが窺える。どうやらロックスの知人であることだけは三人も理解できた。
当のロックスはと言うと、素直に再会を喜べていない様子である。
「あ、ああ。久し振りだな」
「兄さん、この人は?」
シィクの質問に反応したのは兄ではなく男性の方だった。
「隊長の弟さんですか!? 自分は、アエテルヌム王国第三騎士隊所属、サージュと申します!」
「あっ、僕はシィク……と、申します」
「俺はリヴァル」
「わたしはローザです」
男性――サージュの勢いに圧倒されるシィクに続いて、リヴァルとローザも名乗る。今度はサージュの表情が曇った。
ローザの顔をまじまじと見つめ、「きみは……」とこぼす。直後、ロックスに向き直り、なにやら緊迫した表情で問いかける。
「隊長! まさかあのときの少――」
「サ、サージュ! 少し、手合せでもしないか?」
サージュの問いかけに被せるように提案するロックス。思ってもみない提案だったらしく、サージュは嬉々とした表情を見せた。見ていて飽きない、豊かな表情を持つ人だとシィクは思った。
「いいんですか!? 喜んで!」
「ならば場所を変えよう。シィク、お前たちは先に宿で待っていてくれ」
「ええっ?」
「なんだかよくわからないけど、ロックスさんの知り合いみたいだし。久し振りに会えたのなら、そうさせてあげましょ?」
せっかくの再会に水を差すのもなんだと思ったシィクは、小さく頷いた。
宿に向かう三人。リヴァルがぴたりと足を止める。彼の視線の先には、ロックスと、サージュの背中。血が滲むような強さで拳を握り締め、呟く。
「間違いねぇ。あいつ、あのときの……!」
魔物と相対したときよりも、アヴァリタと対峙したときよりも、低くて黒い声。
村にいた頃は見せたことのないリヴァルがそこにいた。
一人遅れるリヴァルに気づき、シィクが声をかける。しかし、彼の変化に気づいたわけではないようだった。
「リヴァル、どうしたの?」
「いや、なんでもねぇ。行くか」